テニス肘NAVI:シュテフィ・グラフ

シュテフィ・グラフ

テニス,シュテフィ・グラフ

グラフは1988年・1993年・1995年・1996年と「4度」にわたり赤土の全仏オープンと芝生のウィンブルドン連続制覇を成し遂げたが、これは男子のビョルン・ボルグが1978年-1980年に成し遂げた「3度」を上回る過去最高記録である。11月上旬の2週連続優勝により、グラフは女子テニスツアー年間最終戦の「チェイス選手権」にも2年ぶりに出場資格を獲得し、リンゼイ・ダベンポートとの準決勝まで勝ち進んだ。

 

グラフは早くからオリンピック参加に積極的な姿勢を示し、1984年のロサンゼルス五輪「公開競技」で優勝した後、ソウル五輪の女子シングルス決勝でガブリエラ・サバティーニを 6-3, 6-3 で破って金メダルを獲得した。その間に若手の新勢力が次々と台頭し、グラフ自身の体調もなかなか回復しなかった。WTAツアーでシングルス107勝(女子歴代3位、うち4大大会22勝)、ダブルス11勝を挙げた。「グラフ vs. 伊達」の最後の公式戦2試合は、当時の日本のテニスファンが最も盛り上がった瞬間と言えるだろう。

 

しかし1988年のソウル五輪でプロテニス選手の出場が認められ、64年ぶりにオリンピック競技としてのテニスが復活する。治療のため休養に入り、同年3月31日に当時16歳のヒンギスに世界ランキング1位の座を明け渡した。

 

グラフは25歳を過ぎた頃から身体の故障の蓄積が目立ち始め、1995年・1996年と全豪オープンを欠場するなど、出場試合数を制限していた。プロデビュー戦では、ドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・グランプリ」1回戦でトレーシー・オースチンに敗れた。1年ぶりの4大大会復帰戦となった1998年ウィンブルドンでは、過去の実績を考慮した特別措置による「第4シード」を与えられたが、3回戦でナターシャ・ズベレワに敗退した。翌日に再開された最終第3セットはグラフが取り、4日-5日にかけて行われた試合は、グラフが 6-2, 2-6, 6-3 で勝った。本名は「シュテファニー・マリア・グラフ」(Stefanie Maria Graf)というが、「シュテフィ・グラフ」の名前で最もよく知られている。

 

女子国別対抗戦・フェドカップ(旧名称「フェデレーション・カップ」)の西ドイツ代表(東西ドイツ再統一が実現した1990年以後は、統一ドイツ代表)としても、1987年と1992年の2度優勝を飾っている。また、1998年12月に設立した基金「チルドレン・フォー・トゥモロー」(Children for Tomorrow)を通して、慈善活動にも積極的に携わっている。グラフは結局、4大大会優勝の女子歴代1位記録保持者マーガレット・コート夫人(オーストラリア)の「24勝」に“あと2勝”追いつけなかった。

 

4歳からテニスを始め、1982年10月に13歳4ヶ月の若さでプロ入り。1985年に初めて女子世界ランキングトップ10入りを果たしたが、グラフのWTAツアー初優勝は比較的遅く、1986年4月の「ヒルトンヘッド」大会でクリス・エバートを破った優勝から始まる。

 

グラフが 6-2, 2-0 とリードした後、第2セット・第3ゲームから伊達が6ゲーム連取し、セットカウント 1-1 となったところで日没順延になる。この大会で1996年全米オープン以来の4大大会決勝に進出したグラフは、1999年6月5日の決勝戦でマルチナ・ヒンギスとの“新旧女王対決”に勝ち、全仏で3年ぶり6度目の優勝を飾る。全仏終了後の6月10日に左膝の手術を受け、復帰までに8ヶ月の長期間を要した。(フェデラーは2004年2月2日-2008年8月17日まで「237週」世界ランキング1位を連続保持し、グラフの女子歴代1位記録を51週上回る世界最長記録を樹立した。

 

フォアハンド・ストロークの強打とバックハンド・スライスを武器にした選手で、ドイツでは“Fraulein Forehand”(フロイライン・フォアハンド、「フォアハンド嬢」の意味)と呼ばれた。3歳の時、マンハイムから近郊のブリュールに移り住んだ。

 

「ゴールデン・スラム」達成は男女を通じてグラフしかいない。2004年7月11日に国際テニス殿堂入りを果たした。)5月にいったん復帰するが、全仏オープン準々決勝でアマンダ・クッツァーに敗退する。このカムバックにより、グラフは世界ランキングを9位まで戻した。

 

しかしフェドカップのグラフには意外な敗戦も多く、1993年の1回戦ではオーストラリア代表のニコル・プロビスに敗れたことがあり、1996年4月28日に日本の東京・有明コロシアムで行われた「ワールドグループ」1回戦では伊達公子に 6-7, 6-3, 10-12 で敗れている。グラフのダブルスは、4大大会では1988年ウィンブルドンでガブリエラ・サバティーニと組んだ優勝がある。

 

また、この試合では第2セット第7ゲームの途中、突然観客からプロポーズされるハプニングにあうが、ここでグラフは「あなたお金いくら持ってるの?」と聞き返したことによりセンターコートの観客が爆笑し、歓声をあげることが見られた[1]。しかし、グラフとサバティーニのペアはマルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー組に敗れた準優勝も多かった。

 


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