テニスの歴史

テニスの歴史

1881年にはローンテニス・クラブが設立。中空のゴムボールでは芝生上でしばしば不安定なバウンドをみせることがあり、フェルトを巻いた現在のボールに近いものも考案された。

 

1873年12月、ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐が考案したSphairistike(スファリスケ)がその原型。サーブは一方の側からのみ行われ、傾斜した屋根を転がるように打ち上げる。ウイングフィールド少佐は特許の起源切れにともなう再申請をおこなっていない。これらが現在の全米オープンの原型となった大会群である。

 

ゲームの最初の第一球の打ち込みが「サーブ」と呼ばれるのは、中世においては、レシーバーにあたる人間の従者が第一球を屋根に打ち上げる役目を行っていたことに起源がある(従者「サーバント」が主人に対して行う行為は「サービス」)。その二種のボールはながらく併用されていたが、やがてフェルトカバーボールが主流となっていく。

 

レシーブ側のプレイヤーは、落ちてきたボールが二度バウンドする前に打ち返す。手袋を使うこともある。現代の多くのスポーツとは異なり、ローンテニスの歴史はごく浅い。紀元前15世紀の壁画で球を打ち合う球技を行う人々の姿が描かれたものが発見されている。

 

1881年には、アメリカ国立ローンテニス協会(今のアメリカ・テニス協会)が、ルールを標準化し、かつ競技を組織化した。(「ラケット」の語源がアラビア語であることに注意されたい。基本的なルールやスコアリング方式はローンテニスと似ている部分もあり、ファイブズ (fives)、ペロタ (Pelota) などのハンドボールから発達した。「テニス」の名称は「トゥネ」という言葉に由来する(「受け取れ」という意味の語。

 

1881年に「全米シングルス選手権」(最初の名称:U.S. National Singles Championship)の第1回大会がアメリカ・ロードアイランド州ニューポートで開催され、6年後の1887年に「全米女子シングルス選手権」(U.S. Women's National Singles Championship)が始まった。

 

複数の人間が1つの球を互いに打ち合うという形態の球技の起源は、紀元前にまで遡ることが出来る。1874年、ウイングフィールド少佐はテニスに商用としての可能性を見て特許を取得したが、商業的には成功しなかった。現在の社会体育、生涯スポーツの概念の先駆けとなる発想で、ラケット、ネット等をセットで商品化し、芝生の上なら何処でも楽しめる『持ち運びのできるテニス』などともいわれた。

 

また、この初期のラケットは選手が自作していたそうである。しかし、イギリスやアメリカで有閑階級を中心に急速に広まった。失敗したプレイヤーはポイントを失う。フランスでこの球技が盛んになった理由としては、ローマ時代の直接の影響よりも、8世紀から11世紀まで、イベリア半島から南フランスまで進出していたイスラム教徒(ウマイヤ朝)が、エジプト時代と同様に、宗教的行為として行っていたものに、キリスト教の僧侶が興味を持ち模倣したことからはじまったと言われている。

 

これはまだガットは張られておらず、ガットが張られるようになったのは16世紀になってからである。現代のローンテニスに対して、初期のテニスは普通単に「テニス」と呼ぶが、このことはあまり知られていない。サーバーの掛け声)。

 

フランスの僧院で特に盛んに行われるようになったのは、イスラム勢力がヨーロッパから駆逐された12世紀ごろ以降からとされる。エジプトに存在したこの球技は、古代ローマ帝国にもレクリエーションの1種類として引き継がれたが、現在のテニスの直接の祖先に当たる球技は、8世紀ごろにフランスで発生し、当初はラ・ソーユ (La Soule)、後にフランス貴族の遊戯として定着をはじめた16世紀以降にはジュ・ドゥ・ポーム (Jeu de paume) と呼ばれた。「ポーム」とは手を意味する。

 

アメリカではニューヨークのスタッテン島、メアリー・ユーイング・アウターブリッジの家で最初にプレイされた。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパの貴族の間で大流行し、多くのコートが建造されたが、現存するものは少ない。

 

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