テニス肘NAVI:リンゼイ・ダベンポート

リンゼイ・ダベンポート

テニス,リンゼイ・ダベンポート

1994年、年間最終ランキング上位16名が出場可能な女子テニスツアー年間最終戦、WTAツアー選手権(当時の名称は「バージニア・スリムズ選手権」)に初出場し、いきなりガブリエラ・サバティーニとの決勝戦まで進出した。(グラフは決勝戦の終了後、このウィンブルドン選手権を最後の4大大会出場にすると宣言し、1ヶ月後の8月13日に現役を引退した。最近のダベンポートは試合中に肩の痛みを訴えてトーナメントの決勝戦を棄権するなど、テニス成績にいくらかのかげりが見られたが、2006年12月に妊娠を公表した。

 

1998年、全米オープンで4大大会女子シングルス初優勝を達成。決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 7-5 で破り、1986年全仏オープンのクリス・エバート以来12年ぶりに、アメリカ合衆国出身の女子テニス選手として優勝を飾った。全米オープン女子シングルスで初優勝した1998年、ダベンポートはナターシャ・ズベレワとペアを組んですべての4大大会女子ダブルス決勝に進出したが、4大会ともヒンギスのペアに敗れて準優勝に終わった。

 

リンゼイ・ダベンポート(Lindsay Davenport, 1976年6月8日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州パロスベルデ出身の女子プロテニス選手。こうしてダベンポートは4大大会3冠王となったが、同年のウィンブルドンと全米オープンの決勝でビーナス・ウィリアムズに2連敗を喫してしまい、しばらくウィリアムズ姉妹の後塵を拝することになった。

 

4大大会で唯一優勝がない全仏オープンでは、1998年のベスト4が自己最高成績である。この大会ではコリーナ・モラリューとペアを組んだ女子ダブルスでも優勝し、単複2冠を獲得している。同年のウィンブルドンでも5年ぶり3度目の決勝に進出するが、今度はビーナス・ウィリアムズに敗れ、またしてもウィリアムズ姉妹に優勝を阻まれた。

 

4大大会では女子シングルスで1998年全米オープン、1999年ウィンブルドン、2000年全豪オープンの3冠を獲得したが、女子ダブルスでも1996年全仏オープン、1997年全米オープン、1999年ウィンブルドンで3度の優勝がある。)2000年全豪オープン決勝ではマルチナ・ヒンギスを 6-1, 7-5 で破り、ヒンギスの全豪4連覇を阻止した。

 

しかし直後の全米オープン前哨戦の大会(ハードコート)で好成績が続き、世界ランキング1位に返り咲いたため、引退を翻意する。9月16日、インドネシア・バリ島大会のシングルス決勝でダニエラ・ハンチュコワを破り、復帰第1戦を優勝で飾った。

 

これまでにWTAツアーでシングルス55勝、ダブルス37勝を挙げている。1993年2月に16歳でプロ入り。その結果、ヒンギスの1998年度「女子ダブルス年間グランドスラム」が成立した。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

 

2005年全豪オープンで5年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、セリーナ・ウィリアムズに逆転負けして準優勝に終わる。その1ヶ月後、1998年10月12日付で初の世界ランキング1位になる。2007年6月10日に長男を出産し、7月にツアー復帰を宣言する。

 

身長189cm、体重79kgで、現在の女子プロテニス界では最長身の選手である。2003年4月25日に結婚した夫のジョナサン・リーチは元テニス選手で投資銀行勤務のビジネスマンであり、かつてのダブルスの名選手であったリック・リーチの兄弟にあたる。若き日には、日本の伊達公子選手の良きライバルでもあった。

 

2004年ウィンブルドン準決勝でマリア・シャラポワに敗れた後、一時は引退を示唆する発言をしていた。両者の対戦成績はダベンポートの「5勝3敗」である。1996年アトランタ五輪の女子シングルス決勝でアランチャ・サンチェスを 7-6, 6-2 で破り、金メダルを獲得する。1999年ウィンブルドンで、ダベンポートは決勝でシュテフィ・グラフを 6-4, 7-5 のストレートで破って優勝した。

 


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